公開: 2019年8月31日
更新: 2019年8月xx日
明治憲法(大日本帝国憲法)では、日本軍は天皇から直接の命令で活動し、政府や議会からは独立した組織でした。天皇の下に、陸軍と海軍が組織されていました。陸軍の中で、その最も大規模な組織は、「軍」であり、日中戦争までは、朝鮮軍、台湾軍、関東軍、品駐屯軍の4軍が編成されていました。関東軍は、その4軍のひとつで、日本が中華民国から租借していた関東州(遼東半島)の守備、南満州鉄道とその関連施設の警備を主たる任務としていました。司令部は、当初、遼東半島の旅順に置かれていましたが、満州事変が終結した後は、満州国の主都であった新京(現在の長春市)に移されました。
この関東軍が、陸軍全体を統括していた参謀本部や陸軍省などの陸軍中枢部の許可を得ずに、独断で実行した張作霖爆殺事件や満州事変は、その後の日本の外交安全保障戦略に重大な影響を与え、日中戦争、そして第2次世界大戦中の太平洋地域における日米戦争を引き起す結果となりました。この2つの事件を、関東軍の若手参謀達が、策定し、実施したことは、手続き的にも明確な軍規(軍の法律)違反であり、昭和天皇の命令なしに軍事行動を起こしたことは、処罰されるべき重大事でしたが、結果的に首謀者達は処罰されませんでした。この陸軍における無責任であいまいな対応が、その後の日本の運命を誤らせました。